特定非営利活動法人ら・ら・ら
理事長 森田清子
略歴> 桐朋学園卒業後、演劇を通じ森田雄三と出会う。イッセー尾形、演出家の森田雄三とマネージャーとして二人三脚で、全国公演を毎週末行う。不登校や困窮家庭なども扱った一人芝居は470作品、小松政夫、桃井かおりとの二人芝居作品も残す。稽古場を楽ちん堂カフェに改装後、多世代が訪れる居場所となる。実家は横浜の恵和学園で、幼少期から他人と過ごすことに長けている。女将の笑顔に会いたくてカフェに訪れる人は数知れず。
これまでの活動
これまでの活動 1980年 イッセー尾形の一人芝居公演を始める NPO設立者である、脚本演出家森田雄三、プロデュサー森田清子夫妻が、俳優イッセー尾形と「フツーの人々の日常」をテーマにした一人芝居を作り上げ自主公演を始める。 独自の演出方法、興行方法を評価され多数の賞を受賞。 既存の演劇とは違い、物語や派手な演出などは一切なく、「普通の人」を主役にし、彼らの日常を演じた演劇スタイルが話題を呼ぶ。また大がかりな宣伝広告を使わずに、来場者には毎回森田清子が違うメッセージを入れたアンケートを配ったり、お客さんとコミュニケーションを重ね、口コミで段々と人気が出た。 1987年 演出の森田の病気 森田雄三が骨肉腫により片足を切断、身体障がい者となる。自らが身体障がい者となったことで、働きたくても働けないこと、またその様な事は誰の身にも起こりうるということを、身をもって実感する。また妻である森田清子も家族として、共に働くものとして、障がいを持つ人とともに何かを作っていくという事を強く意識しだす。数年後、海外で各地を訪ね公演を行う中で、障がい者を積極的に受入れて運営する劇場や、その様な方も健常者も混じり、地域の人が交流する空間として成り立つロビーカフェなどを見学し、感銘をうける。 1996年 演劇ワークショップを初めて開催する 阪神大震災の直後に神戸の劇場より、被災地を元気づける企画を行って欲しいとの要望があり、初のワークショップを行う。通常の興業とは別に、演劇を通した地域の人々との関わりの大切さを実感した森田夫妻は、その後神戸にて素人の若者を集め、社会問題をテーマに芝居を作りはじめ、定期的に公演を行う。 2000年 様々な問題を抱える若者と演劇ワークショップを行う 精神に問題を抱える若者、学校や社会にうまく適応できなかった若者達に、公演に関わる事業で働くことを通じ、新しい居場所を提供し生きがいを持って働く事を発見してほしいという目的で、彼らの様な若者とともに演劇ワークショップを行う。また札幌麻生コスモス作業所(北海道)と提携しグッズ製作を開始する。以来20年間で4000万円を超える売り上げをあげ、2011年まで提携を続けた。 2007年 特定非営利活動法人ら・ら・ら設立 ワークショップや様々な人をスタッフとして受け入れてきた事を受けて、人々の日常、その人が持つ魅力を、事業を通して再発見してほしいという思いが強くなる。その活動をさらに広く行っていくために、拠点に特定非営利活動法人ら・ら・らを設立する。設立は2007年7月25日。 2010年 ワークショップ参加者をスタッフとして受け入れ開始 以前のワークショップ参加者の中で、当時は精神的に不安定なため社会に関わる事が難しかった方が、ボランティアスタッフとして公演に参加。その後状態が良好になり、大学に進学。また、ワークショップ参加時は不登校だった児童も再び通学し始める。遠くは茨城県つくば市から通ってきて楽ちん堂カフェのお手伝いをする青年。マンガを読みながら日々店番をして、お客様が見えると慌ててマンガを置く。実はヤマト運輸との掛け持ちなんだと嬉しそうに話していた。 2010年 児童の預かりプログラムの開始 イッセー尾形の公演の際には、公演中にロビーで来場者の子ども預かりを無償で行っていた。子どもがいるから演劇鑑賞に行くことなんて到底無理だと、通常母親が思う概念を覆すサービスである。ずっと公演を見に来てくれていたファンも、公演中に子どもを預かることで今までと同じように安心して楽しむことができる。それはお母さんのリフレッシュにもつながることを、森田雄三、清子が分かっていたからだ。そもそものきっかけはイッセー尾形と森田夫妻の子どもたちを交代で預かっていたこと、親子共に安心してお互いが離れる時間を提供する大切さを実感したことによる。 その基盤があったことで、年末年始に森田オフィス(代表森田夫妻の別事業)にて1週間の宿泊付き支援事業の実施もスムーズな対応となった。年末年始に家族ではない人たちと過ごすことは、まるでおばあちゃんの家に親戚一同が集まるような何の違和感も無い空間となり、核家族の子どもたちも皆一緒に初詣に行くなど充実したプログラムとなった。 2011年 週末の児童ショートステイ事業「楽ちん堂」の開始 公演時や年末年始の児童預かりの実施を通して、この事業をもっと地域に密着して行うべきだと気がつく。そこで毎週末に森田オフィスにて宿泊付きで支援事業を行う地域の家「楽ちん堂」の運営を開始する。ひとり親家庭をはじめ、スタッフやワークショッパーズの子どもたちが週末に集まるようになった。障がいや年齢、性別などのあらゆるジャンルを超えて互いに交流出来る場所として、口コミで利用者が増え毎週末に訪れる参加者は50名を超えるほどになった。みんなでご飯を食べる、みんなで寝るという、まるで合宿のような週末の行事となり、週末を楽しみにする子どもたちが増えてきた。 2012年 「楽ちん堂カフェ」のオープン準備を開始 森田清子の実家は神奈川県で生活介護施設「恵和学園」を営んでおり、娘である彼女自身も利用者との共同生活の中で育ってきた。スタッフ一同で恵和学園に見学に行き、ワークショップ以外にも、障がいのある方もそうでない方もともに寄り添って過ごす事の喜びを発見する場所を提供したい、と思い作業所としてカフェをオープンすることを決める。 2012年 東京にて毎週末のワークショップ、発表会として2カ月おきの公演を開始 児童ショートステイ利用者の親御さん、スタッフ、公演の常連のお客さんなど、森田オフィス(後に楽ちん堂)に集まる様々な人々で芝居を作り始め、東京の渋谷駅南口の「space EDGE」や世田谷区二子玉川ライズ8階、オープンイノベーションのための共創スペース「カタリストBA」にて2カ月に一回公演を行う「ららら劇団」を立ち上げる。ワークショップとして、毎週末に稽古を開催するようになる。二子玉川では、子どもたちもお母さんと一緒に舞台にあがる「モーレツ社員と怒るその妻」を上演した。 2013年 楽ちん堂カフェオープン カフェ「楽ちん堂」をオープンする。沢山の本や遊具があり子どもたちも思い切り遊べるため、児童ショートステイ利用者とそのご家族、地元保育園や小学校の保護者会後の歓談など、子連れの常連客が多数できた。またショートステイを利用している子どもたちも、コーヒーを入れたり、片づけや掃除、お客様の子どもの面倒を見るなど、自分たちの場所として積極的に関わりを持つようになった。障がいなど様々な理由で働く事が困難な人達がカフェの仕事や子どもの遊び相手などをきっかに、社会に出ていくトレーニングの一環として毎週末に働きに来るようになる。2023年現在は、子連れの常連客の他、行き場のない高齢者、グレーゾーンの子ども達、障がいを持つ人々、不登校の子ども達、DVの家族から逃げている親子、ひとり親家庭の家族など、凸凹や生きづらさを抱える人々が毎日訪れている。 2013年 (一財)トラストまちづくり「地域共生のいえ」に認定され助成を受ける これまでの活動が認められ、上記財団法人の「地域共生のいえ」助成を受け、男女別トイレの設置、スロープや手すりの設置等、拠点の改装を行う。 ※ 「地域共生のいえ」:一般財団法人トラストとは、財団法人せたがやトラスト協会と財団法人世田谷区都市整備公社が住まいや街づくりに特化し、区民主体のまちづくりを支援するために設立された団体である。「地域共生のいえづくり支援事業」は同法人が行う助成事業で、子育て支援や高齢者・障がい者の居場所作り、地域の交流等の場として活動している団体に対して、審査の後改装費の助成を出している。 2014年 放課後等デイサービスへの事業転換&開所 就労継続支援B型事業所への開所を目指していたが、当時相談役としてアドバイスをくださっていた方から、「過去の児童関連の活動実績から、児童に携わる事業の方が向いているだろう」とのアドバイスを頂き、放課後等デイサービスの開所を目指すこととなる。 2014年 放課後等デイサービス イクツアルポック開所 精神障がい児、発達障がい児、虐待児や家庭内暴力でトラブルを抱える児童等、学校や他の事業所等になじめずに居場所が見つからないこども達を中心に支援を行う。その活動は地域にも認知され公的機関や学校等からの信頼もいただけるようになったが、不登校の児童が中心だったため、成果をだせば出すほど利用率が低くなるという経営的な矛盾も抱えることとなる。 2016年 「楽ちん堂カフェ」を森田オフィスに事業移行 放課後等デイサービス事業が軌道に乗り、売り上げも上がってきたこともあり、会計の透明性を保つため、「楽ちん堂」カフェ事業を、設立者である森田清子の個人事業「森田オフィス」に事業を移行する。 以後楽ちん堂カフェはケータリング事業を立ち上げ、企業のパーティやイベント等の納品を中心に売り上げを上げた。また独自の活動として児童預かりや行き場のない若者の就労支援等を行い、その活動を支えるためクラウドファンディングを実施し、多くの方からご賛同と資金の提供を受けた。NPO法人ら・ら・らへは協力会社として、放課後等デイサービスへの昼食やおやつの提供を行った。また利用者の親御さんの相談の場としても利用されていた。 2017年 設立者森田雄三が脳溢血となる 設立者であり旧理事長の森田雄三が脳溢血で倒れ、生死の境を彷徨うが意識を取り戻す。以後入院生活、リハビリを経て自宅(当法人別棟二階)へ戻り、妻であり当法人の設立者・出資者である森田清子が在宅介護を行い、24時間の介護体制で森田雄三を支えたが、後遺症のため以前の様に演出やNPOの相談役としての仕事は難しくなった。だがこの森田の病気により、本来のNPO設立の目的は何か、障がいや病気を抱え日々に制限がある人と共に過ごし、どのように互いを受け入れモノを作っていくのか、と理事や職員が当法人の今後の展開を考え直す大きな転機となった。 2018年 放課後等デイサービスの閉所 2018年4月の総会にて、設立者森田清子が理事に再任し、理事長となった。7月末をもって放課後等デイサービスを閉所する。旧理事長の森田雄三が10月に他界。放課後等デイサービスの閉所理由としては、森田雄三が居宅介護になったことに一因がある。森田清子が在宅介護にかかりきりとなったことで、カフェやイクツアルポックの事業にそれまでと同じような密接な関わり方をすることが難しくなった。また、金銭的にも、施設の将来性にも魅力を持ち続けることができなくなってしまったスタッフは、モチベーションを保ち続けられなくなり総辞職となった。利用者には映画を見せて職員はスマホを見ている状況、ボーナスの請求をする、勤務は勝手にシフトを組んで休みを作る、給料遅配など根も葉もないことを言うなど、業務体系、支援方法への疑問が生じたことでイクツアルポックを閉所することと決めた。 2019年 芥川賞作家 山下澄人氏による演劇ワークショップ、旧放課後等デイサービス利用者と行う発表会開始 2019年3月に、山下澄人氏による演劇ワークショップ(通称:LAB)を開始。参加年齢は無制限で乳児から老人までが多数参加した。不定期開催と称して、2020年2月まで毎月行っていたが、コロナの影響によりワークショップの開催は休止を余儀なくされた。放課後等デイサービス閉所以降、行き場所を無くした元利用者、元卒業生の為の歌と踊りの発表会(オールジェネレーションズ発表会)を復活し、現在まで毎月月末に開催している。近所の子どもたちから老人まで全ての垣根を超えた自由な発表会となる。 2019年5月 Gorron Project事業を開始。 会員制ネットサロンとして、楽ちん堂カフェを居場所として会員と共有できるサービスを提供している。月額3,000円の有料会員数は約50名となる。 ※山下澄人氏:20年前に森田雄三の「君は書ける!!」との指導で小説を書き続け、森田雄三が倒れたその月に芥川賞を受賞した。 2020年 不登校児の居場所提供活動に伴う「母ちゃん隊」の発足 新規事業として完全なるクチコミにより自然に集まった不登校児とその母親が、楽ちん堂を子どもの居場所として活用するだけではなく、母親の事業参加も同時にできるようになった。(母ちゃん隊の活動)また、「多様な学びプロジェクト@せたがや」の勉強会や、みくりキッズクリニックの院長を招いた講演会などを開催し、保護者の情報提供の場にもなっている。 同時期にみくりキッズクリニック、寺子屋みらいへの昼食ケータリングを開始。不登校児の家庭に昼食を届けるプロジェクトも開始。楽ちん堂に通って来る不登校児が、不登校児のためにお弁当作りを手伝い、お弁当と一緒に楽ちん堂の蔵書であるマンガを届けた。何巻もあるマンガを届けることで昼食の宅配の継続化につながった。楽ちん堂に通う不登校児が、別の不登校児のためにお弁当作りにメニューから参加し、配達まで行ったことは他には無いユニークな支援のひとつである。同年代の子が自分のために調理、配達をしてくれたという親近感が心を開く大きな要因となった。 2020年1月に、母ちゃん隊主導によるクラウドファンディングにより寄付を募る。世田谷区の保坂区長もTwitterでシェアをしてくださり、ケータリング事業を軌道に乗せる目的で、目標金額170万円に対し結果約230万円の寄付が集まる。 また同時期より、障がい者支援、不登校凹凸支援、高齢者支援、グレーゾーン支援などを民間で幅広く取り組んでいることを再確認し、民間総合福祉事業と称するようになり、より精力的に活動を開始している。 2021年 子ども食堂を本格的に開始 旧森田オフィス時代から宿泊を含む学童保育を続けており、子どもたちだけではなく急に訪れる親子に食事をふるまうことも多々あった。そういった意味では子ども食堂という名前が無かったころから、子ども食堂的な機能が備わっていたと言える。コロナ禍ではパントリーの役割も果たし、社会福祉協議会などからの寄付をひとり親家庭や困窮家庭に配食をした。現在では学童保育の子どもたちだけではなく、休日の朝に悩み事相談に訪れるシングルファザー、土曜日に集まる高齢者グループ(せめてしゅういち)への昼食提供や、居宅介護家庭へのお弁当の配達も行う。これらの食事は、高齢者グループの美智代さんだけでなく、子どもたち自身で作る給食の企画も進めている。毎日やってくる不登校の小学生がランチを自分たちで作ることで食育にもつながる。 「子どもばぁ~」という子どもたちだけのバーは、大人だけじゃなくて子どもだって楽しみたいんだ!という子どもたちの声から現理事長の森田清子が発案し、人気企画となっている。 また、元高校の校長先生だった池上先生が、不登校の子どもたちに勉強を教える個別指導の学習は、子どもがやる気を出すまで気長に待つというシステムはここにしかない。数学の先生だったけれども、国語も教える。小学校1年生から6年生までの教科書を全部読み、関連性が無いことが漢字の勉強に足りないことを発見し、「父、母、兄、弟、姉、妹」など関連する言葉でイマジネーションを高める勉強法を取った。小学校5年生まで平仮名を全部書くことができなかった子が、この春中学校に通い始めている。不登校の子ども達が学校に通い始めたことで、ここに来ても子供がいないし暇だと思った子が学校に通い始めるなどの、二次効果さえ生まれている。 ※せめてしゅういち:せめて週に1度は集まりましょう、元気な姿を確認しましょうという、高齢者のグループ。かつての仕事や、今まで培ってきた技は皆さんプロ級。料理、出版、ラジオ放送、教育など、彼らの得意分野で寄り添っているのは、高齢者自の居場所だけではなく、彼らの喜びにもなっていることは間違いない。せめてしゅういち→いずれしゅうさん→もはやしゅうご、のように通ってくる高齢者が増えている。